和食を無くさないために、今から広めるのが日本人の務め

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日本の数ある文化の一つとして、日本料理が挙げられると思います。

国によって、味付けや材料は様々ですよね。
外国からの観光客のほとんどは1度は口にしていることではないでしょうか?

代表的な日本料理として、寿司を思い浮かべる方が多いでしょう。
少し前までは、高くて手を出せない。お店に入りづらい。ということが多かったのが
現在では、1皿100円というのが当たり前になってきています。

そんな中、私は日本料理は寿司だけではなく和食もあることをもっと多くの方に知って欲しいのです。
和食を知っているという人はいるかも知れませんが、寿司に比べたら手を出しにくい。
どこの店に行けばいいの?と観光客だけでなく、私たち日本人でさえ思っていませんか?

このままでは、昔から今日まで受け継がれていた和食が消えてしまうということもあるかもしれません。

そこで、もっと気軽に和食を楽しめる店を増やし、
もうちょっと良いところだとこんなところがあるよ。と広めていくことが大事ではないでしょうか?

色に関する多彩な日本語は大事にしたい!

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日本語には、色に関して多種多様な表現があります。
これは、日本には四季があり、春や秋に自然は様々な表情を見せてくれることや、
人間が森羅万象の出来事に敬意を持って接してきたことなどに起因するものと思います。

日本語には、もえぎいろや薄墨いろなど単純に英訳できない微妙な色の相違を表す言葉があります。
春の山を表現するのに「緑」の一言では済まされないということを日本人なら感じていると思います。

ところが、今都会では単調な建物に囲まれ、緑も少なく、花を愛でることも減ってしまっています。
そうなるとどうしても、色に対する感性が鈍ってきてしまいます。
感性が鈍ると、色に対する多種多様な表現も使わなくなってしまいます。
今となっては、そんな表現があるんだとか、こんな時にそんな表現を使えばいいのかと、改めて知ることもよくあります。

今、多くの外国人の方が日本を訪れています。
彼らは、日本の美しさ、つまりは、色のバリエーションにとても感動してます。
彼らにそんな色の奥深さを説明できるようにするためにも、多彩な日本語の色表現を大切にしていく必要があると思います。

靴をぬぐ生活は清潔でリラックスでき大事な習慣

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欧米でも、最近、家の中で靴をぬいで生活する方が増えてきました。
でも、家の間取りでは、玄関と廊下はフラットになっていて、ぬいだ靴を置いておく場所がありません。

私が20年近く前に、アメリカで暮らしていた時に、借りていた一軒家も玄関の土間がありませんでした。
しかたないので、入ってすぐのところに、ぬいだ靴を置いていました。
子供も3人いたので、常時5足は置いておくことになります。
訪問者があるときは、部屋の中に新聞紙などをひき、そこに靴を置いてもらうことになります。

最初に、住んだ家は台所と子供部屋以外はジュータンが敷き詰められていました。
おまけに、毛足の長いジュータンだったので、土埃や小さな虫が落ちていてもすぐにはわかりません。
靴をぬいでいても、どうしても同じフロアーなので、埃やごみなどついてきてしまいます。
これが、靴を履いたままだと、もっと不衛生になってしまいます。

いくら、ダイソンのようなバキュームで掃除しても、土足なら清潔でないし、
靴を履いていては、リラックスできません。
なので、靴をぬぐ習慣は残してもらいたいし、世界に広めてもらいたいです。

親から子供へ受け継がれる日本の風習

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無くしてはいけないと思う日本の風習は子供が生まれたらお宮参りに、端午の節句に桃の節句に、成人式です。
伏し目伏し目のお祝いをする事で子供の成長を嬉しく思い子供も親から大切に思われている、親からの愛情を受け入れる事が出来ると思います。

お宮参りでは足形や手形を取ってもらって私は成長をした時に、その手形や足形を見て成長をした事を嬉しく思います。
端午の節句や桃の節句は日本の伝統的な5月人形にお雛様が大きくなっても残り、いくつになっても、その人形を見るたびに幼い日の事を思いだします。
成人式は鳥で言うと巣立ちの時ではないかと思います。

鳥のように完全な親離れは出来ませんが、
大人になる為の一歩を歩みだす為の式みたいで気持ちが引き締まる気持ちになります。
この三つの風習は無くしてはならないと思います。
親からの子へと子から孫へと受け継がれる素晴らしい日本の風習を無くならさない為にも皆さんが守り続けて欲しい思っています。

おせち料理を家族で作る習慣

段々とおせち料理は買うものに変わりつつあるここ数年、何だか寂しくなってしまいます。

我が家では年末にはおせち料理に使う食材の買い出しから始まり、
31日は母、姉、私の3人で朝からひたすらおせち料理を作ります。
定番おせち料理に加え、毎年アレンジ料理を1人一品づつ作ります。
皆主婦なので楽しく喋りながら作るおせち料理は毎年大満足の仕上がりです。

飾り付けも庭の柊の葉を飾り付けたり、海老を泳いでるようにヨウジでアレンジしたりと楽しんじゃいます。

出来上がったおせち料理は3軒分に重箱にそれぞれ入れます。
夜はこのおせち料理を早めに少しつまみながら、パーティー料理をお酒をいただきながら、皆で忘年会年越しをするというのがずっと続いています。
これが昔から新年を迎える前の最後の女の仕事なんだよと教えられてきました。

そんなおせち料理作りを、スーパーやデパートで売っているものをすっと買ってきてしまうのは私には寂しいのです。
母から娘へ受け研がれていくおせち料理という習慣が消えてしまわない事を願いつつ、これからも続けていきたいです。

ありがとうの気持ちは日本人独特の文化

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日本には、手を合わせる、合掌という文化があります。

食事の前には手を合わせて、「いただきます」、そして、食事の後に「ごちそうさま」という習慣があります。
作ってくれた人への感謝の気持ち、尊い命をいただくことへのお礼の気持ち等の「ありがとう」の気持ちを表した行為です。

手を合わすのはそれだけではありません。
神社で、お寺で、何かをお願いするとき、願いがかなったことを報告するときにも、手を合わせます。
「お願いします」「ありがとうございます」と目に見えない神様、仏様にお祈りをします。
心の中にいつも「ありがとう」の気持ちが宿っているというのは、本当に素敵なことだと思います。

しかし、最近はそれがおろそかになっていっている気がしています。
頻繁にいろいろな事件が起きているのは、「ありがとう」の気持ちを確認する時間が取れていないからではないかと思います。
考えてみると、食事するときが一番確認できるときだと思います。

毎日3回の食事のとき、「ありがとう」と手を合わせるのを忘れずにいて欲しいです。

実際のところ、ありがとうを1日3回以上言うとそれだけで幸福度が上がるそうです。
ペンシルバニア大学での研究でもそう結論付けられているのでこれはホントに大事なことなんですよね。

日本人なら和服の美しさを語りつぎたい。

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ずばり和服です。
夏祭りの浴衣や成人式での振り袖、卒業式の袴など、これからもずっと続いてほしいなと思います。

最近、浴衣や振り袖を花魁のように肩を露出させる人が増えています。
そういう、昔からの伝統を下品なものに変えるのもどうかと思います。
本当の花魁自体もそんなに下品ではありません。
もっと露出が少ない和服から少し見える首のうなじなどに美しさや上品さを感じるということも語り継いでいってほしいです。

以前、着物を着て大阪を歩いていたことがありました。
すると外国人に出会うたびに「美しい!」「一緒に写真を撮ってもらえますか?」と英語で言われました。
やはり外国人から見ると和服は美しいのだと思います。

着物を着ると背筋もぴんと伸びるし、
帯でしめられることによってぽっちゃりしたお腹さえも隠すことができます。
大股で歩くこともできないので、どこか歩き方もしなやかな動きになります。
昔の人はこれで生活していたのだから凄いです。

ぜひその文化を永遠に語り継げるように頑張りたいと思います。

お節料理は母から娘へ受け継がれる文化だ!

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最近ではお節料理を作らない家庭が多くなりました。

お節を注文して買ったり、お節自体を食べずにカニや鍋や焼肉など、他の料理にするところも多いです。
子供の頃から私自身もお節に入っている料理はあまり好きではありませんでした。
全体的に甘いものが多く、田舎くさい料理より、唐揚げとかの方がいいのになと思っていました。

しかし、そんな風に思っていた私も、
大人になってからは毎年お節を手作りしています。
母の作っていたお節の味です。

母は焼き豚やハムなどは市販のものを購入して重箱に詰めていましたが、
私は少し手を加えて焼き豚もハムも手作りしています。
全く母と同じというわけではありませんが、基本は同じ味です。

今年は離婚して他県に住んでいる父が、お正月にうちに泊まりに来ました。
初めて私の作るお節を父に食べてもらいました。
父はうちの味だと言い、こんなに料理ができるとは思っていなかったと言われました。
すごく喜んでくれて、たくさん食べてくれました。

お節は地域や家庭によって本当に様々で、家庭の味があります。
そんな日本の伝統の料理は母から娘へ、これからも受け継がれて行って欲しいと思います。

もし仮に教えてもらう方がいない!という場合には、
クックパッドのおせちレシピなどもありますので、そういうのを見て独学でも学んで自分の子供に継承していってほしいとさえ思いますね。

晴れの日に着物を着るという最高の文化

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日常的に着物を着て生活している人は
今ではほとんどいないと言っていいのではないでしょうか。
大抵の人が成人式や七五三などの特別なときに着るくらいだと思います。

近年では写真館で写真を撮って終わり、という人も増えているそうで、
着物を着ても特にどこに行くわけでもないという人も多いのではないでしょうか。

しかしできれば、着物を着て晴れ姿をお披露目する、
お参りに出掛けるという昔からの日本の習慣は、
変わらずに受け継がれていってもらいたいと思います。

私は成人式の帰りに着物姿のまま立ち寄った喫茶店で、
お店の方に「おめでとう」と声を掛けられたことがあります。

まったく知らない人にお祝いされるのは、少し恥ずかしかったものの、とても幸せな出来事でした。

別のときには、七五三らしい家族を見掛けてこちらまで幸せな気持ちになったこともあります。

着物を着た小さな女の子の姿は華やかで、
特別な日に着物を着るということの意味を改めて考えさせられました。

また、この頃では当たり前のように外国からの観光客の姿も見掛けるようになりましたが、
彼らに対する観光資源になりうるということからも、
やはりこの習慣は残ってほしいと思います。

年に一度のやりとり。年賀状の文化は絶やしちゃダメ!

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私は小さい頃から年賀状を書くことが大好きです。
白い年賀状を買ってきて、絵を書いたり、貼り絵をしたりして、自分のオリジナルな年賀状を作成しています。
そして、元旦にポストをチェックして、年賀状を見ることが大好きです。

最近は、「年賀状はめんどくさい」「年賀状がなくなれば良いのに」という声もたくさん聞きます。
しかし、私は1年に1回しかやりとりをしない人もいるため、
年賀状で相手の近況を知れることは嬉しいことだなと思っています。
自分の近況を知らせられるということも嬉しいです。

例えば、私は保育園のときの先生とずっと年賀状でやりとりをしています。
ずっとその先生が憧れでした。
保育士資格をとり保育士になったときに、まず一番にその先生に伝えたかったのですが、
わざわざ連絡する勇気もありませんでした。

でも、年に1度の年賀状の存在があるので、
そこで先生に保育士になったとことを伝えることができました。
先生は今は園長先生になっているという話も聞くことができました。

このように年賀状があることで、ずっと切れずに繋がっていられる縁もあるので、
年賀状という習慣はなくならずに、ずっとあるべきだなと思います。

別に自分で全部準備する必要はないんです。
ネット上でデザインを選んで、あとはスマホで撮った写真をはめ込む・・・
それだけでできてしまう年賀状印刷の安いネット注文は実はたくさんあります。
パソコンでちょっと調べるだけでいっぱい見つかります。

つまりそれだけ年賀状文化はいまだに根付いているということ。
これは年賀状がこれからも受け継がれていくためのポイントにもなるので歓迎すべきことだと思います。